nihonni-zetubou’s diary

集団ストーカーに足を引っ張られながら生きています。被害の記録と趣味、食べること。ほしいのは金。

人間をコンピューターに例え、死もそれに例えてみる。

ハードウェアは体、人体、骨や肉や臓器の部分。

ソフトウェアは精神、心と呼ばれているもの、感情、又は魂。

 

RAMは人の記憶領域、思い出したり記憶したりするところ。

CPUは脳機能、人によって個性様々。

 

電源を入れ、OS(ソフト)を起動する。

OSの上に仮想を走らせる。バーチャルボックスでもドッカーでもなんでも良いが、

仮想空間だ。ここが人でいう心だ。

 

コンピューターも壊れれば、電源を入れても起動しなくなる。

ハードが無ければソフトを走らせることは出来ない。

ソフトを走らせられないのであれば、当然、仮想も走らせることが出来ない。

ハードの終わりとともに、ソフトも終わるのだ。

そしてソフト上で存在していた仮想領域も綺麗サッパリ消えて消失。

 

私は「死ぬこと」をポジティブにしか考えませんし、完全無神論者です。

足元で死んでる虫の亡骸や、息絶えた動物を見ても、

人は死ぬことも生きることも特別視したがる生き物だと思います。

 

生まれてくることは単に、繁殖行為の結果であって、それ以上でも以下でもない。

生まれてきたこと以上に死ぬことに拘るのも人間だけ。

魂や、前世、来世、天国や地獄、

話のネタにはなるだろうけど、

現実にそんなものはないよ。

こんな意味不明な種、ヒトってものにだけ、どうしてそんなシステムがある?

ハードが終われば、ソフトもおしまい。

分かりやすいと思うんですが。