異常な周波数が飛びかう部屋で、たまに二重床の上に出てきてた小動物、
オシリを触られると嫌がるので、撫でながら誤魔化しオシリの毛や汚れをハサミでカットしていた。お尻キレイになったなあ、とか言っていた。
でも、全く上に出てこなくなって、それも出来なくなっていた。
その頃だ。
二重床の下で、頻繁にバタバタバタッと大きな音を立てるようになった。
小動物は高齢で、もう白内障で目も見えない。
外へ出てくるときも普通に出てきてたのでそんな音は立てたことがなかった。
断続的にそういう暴れるような音を出すが、外へは出てこない。
一点集中攻撃を受けていたんじゃないかと思う。
奴の一点集中攻撃は、どんなに防いでも、防げず、
何故か今いる場所がわかるようで、私は在宅中はずっと左胸、股間、右胸、右後頭部にやられていた。
あれを小動物がやられたのかと思うと腸煮えくり返る。
その音を立てるようになってからしばらくして、ご飯もトイレもできなくなった。
死んでから気がついた事だが、右足と右手が妙に突っ張っていた。
棒のようになってて曲がらないのだ。
だから一人で立てなかったんだ。体を拭くときもそこを触ると嫌がった。
この世で最も下等な動物は人間だ。
人はそれを自覚しないといけないと思う。そうすれば、
他の生物がどんな目にあってるか、
良く見えてくるんじゃないかという気がする。
間違っても人間を高等な生物なんて言うべきじゃない。
その人間の中でも、害人としか言えないようなクズが多数ヌクヌク生息している。
そして、誰かに危害を与える事だけを楽しみとしている。
何が大事かは人によって違う。
私の一番大事なものはなぶり殺された小動物だった。
彼の元気な頃、と弱った頃を思い出す。
死んだらそこで終わりだというのは私の絶対的な価値観だ。
でも彼が死んでからしばらくは、すぐそこに居るような気がした。
気休めだけど、そう思うことにした。
墓とかそういうものは、本当に残された人の為のものなんだと
言う事を実感した。
私が死ぬ時思い出すのはこの子の顔と声だ。
どんな死に方しようが別に構わない。どうせいつか死ぬんだし。